「気持ちになる」

明日(ってか今日)、サークルの合宿の下見で伊豆に行く。朝早いのに寝れない、ので久しぶりに更新。

関西に行ったところで話が止まっている………!
この後jsysで金沢に行ったり
大好きな先輩と追いコンに出たり
先輩方追い出したり
愛すべきクソどもと箱根に行ったり
3編生を新歓したり
サークルの新歓で老害かましたり
大切な居場所アジトつくばがなくなったり
成人式になんだかんだ行って写真撮ったり
やど祭見たりした。
3ヶ月あればそりゃいろいろあるわ


この3ヶ月でめちゃくちゃ発した言葉が「気持ちになる」
気持ち、とは、なんぞや

嬉しいのも悲しいのも楽しいのも苦しいのも全部"気持ち"に収束する。
事象があればそこに"気持ち"は宿る。
というふうにわたしは解釈して、この言葉を使っている。

これは非常に便利で、「◯◯ちゃんかわいいペロペロ///」も「ほんまキモいクソ死ね」も全て「気持ちになった」でオールオッケーなので、なんでもオブラートに包めてしまう。
ちょっと恥ずかしいことも、人にはなかなか言えないことも。
わたしは楽な方法を得てしまうと多用してしまいがちなので、ここ最近は逆に「気持ちになる」しか言えなくなってしまった。


よく周りから「"気持ちになる"ってどういうことですか?」なんて聞かれる。
だいたいの場合は、「人間の感情はすべて気持ちだから各々好きに解釈してね☆」みたいなことを言って受け流す。
わたしのほんとうの気持ちは、わたしにしか完全にはわからないので、別に「気持ちになる」なんて曖昧な表現を使わなくても結局推測や解釈は必須なんですけどね。



ただ、「気持ちになる」を使いすぎて、わたし自身にもわたしのほんとうの気持ちがわからなくなってしまったなぁって、ただそれだけ。



本人にすらわからない気持ちを他人にわかってもらおうなんて無茶な話
だから、言葉とか態度で伝えるのって大事なんだろうなぁ
態度はもとからなんだけど、言葉がうまく使えなくなって、だんだん人に伝えるのが下手になっている。悲しい、ほんとに悲しい

たぶんわざわざ"気持ちになる"って言葉を使っているし、Twitterもブログもやめれそうにないから、誰かになにかを伝えたい気持ちはあるはずなのになぁ





よくわからない文章になっちゃったけど、わたしは今気持ちになっている