今なにしてる?
今なにしてるのかみたいな話を書きます
就職活動をしています。
世間の波に乗って3/1から合同説明会行ったり試しにES書いてみたりしています。
周りは夏からインターンとか行ってて選考進んでたり内定もらってたりしてて大変こころが厳しいです。
ですが私は私のペースで就職活動をしています。
っていうのもほんとについ最近まで絶対なにがなんでも院進してモラトリアムを伸ばそうと思っていたのでとにかく腰が重たい。
動きたくない働きたくないスーツ着たくない面接したくないなにもしたくなーーーいといった感じです。
なんでそこまでして今就職活動をしているかというと、一応私なりにきっかけがあって。
昨年の12/22に地元糸魚川で大規模な火災があり、実家こそ燃えなかったものの、実家から数kmしか離れてないところが1日で焼け野はらになってしまったわけです。
この日はテストやらバイトやらでてんやわんやしていました。お昼頃にTwitterで糸魚川が火事になってることを知りましたが、どうせすぐ鎮火するし大したことないんだろうと思って軽視してたんです。
しかし夜になってやけに鎮火の報道が遅いなと思っていたら、バイト先のテレビでニュース番組を見て息をのみました。知っている町並みが火に飲まれていく光景、なんなら親戚の家の隣の家が焼け落ちる瞬間まで報道されてて、唖然としました。
そして年が明けてから帰省して、糸魚川の被災の様子を見にいきました。
思っていた以上にショックでした。
中学校から電車通学だったので駅周辺は毎日通っていました。その毎日見ていた景色(景色ってほど大層なものではなくて、ただ当たり前のようにそこにあった建物とか道とか)が一変して黒こげになっていました。
商店街の雁木もぼろぼろに崩れてて、親戚が経営していたスポーツ用品店も瓦礫の山になっていました。瓦礫をよく見ると、これはグローブだなとかこれはスポーツ雑誌だなとかわかってしまうので、余計に心が痛みました。
一番被害が甚大なあたりを少し離れてみても、一見無事に見える民家でも屋根に火の粉がかかって天井が抜けてたり、壁に穴が開いていて部屋のなかは真っ黒だったりして、空襲のあとみたいな有り様でした。
海沿いの国道8号線を走っていても、火災の一帯付近を通ると一気に視界が開けるんです。そんなレベルで建物がなくなっていました。
正直、火災も含めて災害なんていつどこで起こるかわからないし100%防ぐことは不可能だろうと思っています。
人間が火を使う限り火災が起こるリスクは絶対にあるし、かといって人間は火を使わずにはもう生きれないですから。
でも、起きてしまった災害から復興することはできると信じています。
糸魚川の焼け跡にもいつか新しい建物が建って、駅前の活気を取り戻していけるはず。
ならば、わたしは糸魚川のためになにかできるだろうか、と思い至ったときに、今のままじゃ大したことはできないことに気づきました。
大学生って成人こそしてるけど、まだまだ社会に守られてる側で
程度の差こそあれど親に扶養されてる人がほとんどだし
年金・納税とかも正直よくわからない。(これは普通に私の知見が足りない)
学びたいことは山々とあれど、社会に貢献するには、やはり社会に出る必要がある。
社会に身を曝してこそ社会を作る側に回れるのかなと思い至りました。
すごく長い文を書いてしまった、履歴書とかエントリーシートより長いぞ
とりあえずGWにまた糸魚川に帰って様子見れたらなと思います
そしたら気持ちも変わるかもしれないし
やっていきたいようにやっていきます